2月28日 最後の日常




  「……では、これでH・Rを終わります。」

  一呼吸置いて紡がれる若王子先生の言葉。
  そして今日が終わる。
  もうすぐ終わってしまうわたし達の高校生活の
  最後のなにげない一日。







  「やっと来たぁ!」
  「ふふ、待ってたのよ?」

  校門の側に見慣れた姿。
  はるひと密さんだ。

  「どうやら、間に合ったみたいだね。」
  「よかったです!」

  後ろから竜子さんと千代美ちゃんも来た。
  約束、してたかな?
  わたしがきょとんとしていると、みんなはにこっと笑って当たり前のように言った。

  「行こ!」

  ……ああ、そうか。
  今日が、最後なんだ。

  「うん!」

  わたしも どこに? なんて聞かず、当たり前のようにうなづいて駆け寄った。



  もうすぐ終わってしまう、当たり前の日々。









  「、ホンマにええの?」
  「いいのって……なにが?」

  はるひの言葉に顔を上げると、そこにいたみんながおなじような表情でわたしを見ていた。
  困ったような、怒ったような、いろんな気持ちの混ざり合った複雑な瞳。
  胸がざわりとする。

  「……アンタが触れて欲しくないってのはわかってるけど。」
  竜子さんの少し鋭い眼差し。
  強いひとだな、どこかぼんやりした頭でそんなことを思った。

  「中途半端にしたままではきっと辛いと思います。だってあなたは・・・」
  千代美ちゃんの真っ直ぐな目。
  いつもは小動物を思わせるその可愛らしさが、今はやけに眩しくて瞳をそらす。

  「佐伯くんのこと、あんなに好きだったでしょう?」
  密さんの綺麗な柳眉が悲しげに下がった。
  だけど瞳に宿った力は見た目のたおやかさに反して、わたしを圧倒する。


  「瑛・・・くん」
  久しぶりに口にしたその名前。
  ずっと抑えていた愛しい気持ちに、湧きあがるのは胸の異物感。
  わたしの前から瑛くんが消えた、あの日から
  どこか体の奥底に封じ込めてた。





  『忘れてくれ』

  酷い言葉。

  『おまえが俺のなにを知ってる?』

  もうなにもわからないよ

  悲しくて、辛くて、ずっと支えてあげたい なんて
  所詮わたしの思い上がりでしかなくて。
  自分の
  わたしの
  瑛くんとわたしの全部を否定することを選んだ悲しい瞳を
  自分に失望して傷付いた心を


  『ひどい・・・』


  わたしが責めた。






  「いいんだ、もう。」
  「けど!」
  「いいんだ。」

  わたしは笑う。
  友達に心配させてる自分が歯がゆい。
  わたしも強くならなくちゃ。
  だって


  「だって瑛くんはもういないんだから。」


  学校から消えた姿
  誰もいない珊瑚礁
  繋がらない携帯電話
  何度も何度も繰り返した事実。毎日確認した現実。
  それを止められなかったのはわたし。
  必要とされなかったのはわたし。
  傷付けて、苦しめたのは

  「……大丈夫。」
  もうすぐ終わるから。
  瑛くんがいた当たり前の日々はもうすぐ終わる。
  そしたらきっと、今よりずっと楽になれる。
  わたしも、瑛くんも


  ぱしん、という乾いた音て共に、頬に熱がともった。

  「ひっ!」
  「み、水島さん!」
  短いはるひの悲鳴に千代美ちゃんのあわてた声が重なる。
  「密さん?」
  ほっべにじんじんと痛みが広がって、ようやく叩かれたのだと気付いた。
  「そういうのはアタシの役かと思ったけどねぇ。」
  「あら、ごめんなさいね?あんまり歯がゆくて。少しは目がさめた?」
  痛みや驚きよりただ呆然とするわたしに、密さんはどこまでも優美に微笑んでみせた。

  「アンタ・・・佐伯みたいやで?」
  「え?」
  気を取り直すように溜め息をついたはるひが、テーブルに身をのりだすようにしてわたしのほっべをぐに、とひっぱった。

  「痛い!」
  「それは水島さんの平手うちが原因ですね。」
  「ふふ、チョビちゃんたら。」
  「チョビ・・・なかなかいい度胸だね。」
  「チョビじゃなくて千代美です!」
  こぼれかけたはるひのカップを、絶妙のタイミングで支えた千代美ちゃんがお決まりのセリフで密さんと竜子さんを一喝した。

  「そんなウソクサイ笑顔であたしらが納得するとでも思てんの!」
  「痛い痛い痛い!」
  千代美ちゃん達に気をとられてたら、さらにはるひにほっべをのばされる。
  「アンタがそういう佐伯見てどんだけ心配してたか思たら、わかるやろ?あたしらの気持ち。」
  「はるひ・・・」
  思わずうなだれてしまう。




  本当の気持ちを隠して平気な顔をする、偽者の笑顔。
  苦しくても無理して、無理なんかしてないって自分にも嘘ついて。
  苦しかった。
  そんな姿見てたくなかった。
  だから珊瑚礁が閉店して、少しホッとしたの。瑛くんが傷付くことは、わかってたけど。
  バイトの時間も無くなって、受験もあって一緒に過ごす時間も減って。
  距離ができたみたいで寂しかったけど、なにもしてあげられない自分から目をそらすにはちょうど良かった。



  『頼むよ耐えられないんだ!』


  耳の奥にこびりついた、悲痛な響き。
  きっとあの時限界だったのは、わたしも一緒だった。
  だから瑛くんをを責めた。
  だから離れていく背中を追いかけられなかった。


  「……学校も街もどこもなにも変わらないのに、瑛くんだけいないの」

  目を閉じる。
  周りのざわめきも、ほっべの痛みも、どこか遠くから聞こえるような感覚。

  「なのに、消えてくれないの」

  瞼の裏に、頭の中に、心の奥に
  焼き付いて離れない瑛くんの姿

  「わたし、こんなに瑛くんでいっぱいだった・・・」

  溢れそうになる涙をこらえようとするわたしを、はるひがテーブルごしに抱き締めた。
  「あかん!我慢なんかしたらあかんよ!泣きたいときはちゃんと泣かなっ・・・」
  「人間が涙を流すのは自然なことです。人間にはそれが必要なんですよ。」
  先に泣き出したはるひの隣から、千代美ちゃんが綺麗に畳まれたハンカチを差し出して、柔らかい笑みを浮かべる。
  「あんまり自分を責めるんじゃないよ。アンタが頑張ってたのはアタシが認める。」
   竜子さんの手入れの行き届いた指先が、くしゃくしゃとわたしの頭をなでて。
  「さんに無理はしてほしくないの。わたしたち、素直で飾らないあなたが好きなんだもの。」
  ふわりと笑う密さんの言葉に、ずっとこらえてたぽろぽろと涙がこぼれた。


  泣けなかったの。
  悲しくて、寂しくて、苦しくて。
  心のどこかがぽっかりと欠けてしまったのに、瑛くんはどうしても消えなくて。



  『ひどい・・・』


  だけど、傷だらけの瑛くんを責めたわたしには、泣く資格すらないんだって思ったの。




  ねぇ、瑛くん

  あなたを止められなかった
  あなたに必要とされなかった
  あなたを傷付けて、苦しめた


  でも、わたしがみんなの気持ちを嬉しいって思うみたいに
  みんながいてくれて良かったって思うみたいに
  わたしも少しは瑛くんの支えになれてたのかな?


  「……瑛くんに会いたい。」

  ぽつりと零れた呟きに、みんなが泣きながら頷いてくれた。



  会いたいよ。