「入学手続きとか不動産の契約とか色々親の承諾が必要だし、実家に帰って引越しの準備もしないと。
 そういうわけで、ちょっと帰ってくる。」
「ええ?やっと二人でのんびり春休みが過ごせると思ったのに!」
「あ……ごめん。でも、引越し済んだらずっと一緒にいれるだろ?」
「そうだけど……寂しいよ。」
……そんなカオすんなよ、な?
 ……俺だって寂しいんだ。」






 とか言ってたくせに、それから早や三週間。
 3月半ばの予定だった瑛の引越しはズレにズレて、結局今日4月2日になってしまった。
 ……付き合いだして1ヵ月。その間一緒にいたのは受験勉強に明け暮れた約一週間だけ。
 そして明日は大学の入学式。  ……はあ。
 瑛と付き合いだして初めての長い休みはこんなもんだった。




 わたしは預かっていた瑛の部屋のカギを開けて、締め切ったままの窓のシャッターを全開にする。
 がらんとした10畳1DKの学生用マンション。部屋の主は今日ようやくやってくる。
 引越しと言ってもほとんどの物はこっちで買い揃えるので、宅配便で送られてくる荷物を解いていくくらいの作業。
 なにしろ高校生活のほとんどを珊瑚礁につぎ込んだ瑛は、結構な小金持ちだ。

 文句を言いつつも、久しぶりに瑛と会えると思うと胸がドキドキしてくる。
 到着の時間が近づくにつれ、わたしはどんどん落ち着きをなくしてうろうろと歩き回ってみたり。
 それでも落ち着かずに部屋を出て、階段を降りて、エントランスを抜け、マンション前に出て。
 最終的に駅の方向へ17歩歩いたところで、瑛の乗ったタクシーが横を通り過ぎた。


「瑛!!」
 マンション前で止まったタクシーから降りてきた瑛が、わたしの声に目を細めて笑った。
、なにしてんだよ?」
 瑛の声、瑛の笑顔。
 久しぶりの瑛になんだか泣きそうだ。
「だって、瑛が遅いから!」
 瑛にぶつかるくらい側に駆け寄ると、手にしたバッグごとぎゅうと抱きしめられた。
「……やっと会えた。」
 耳元をくすぐる長いため息と、しみじみとつぶやく声。
 だからそれは瑛のせいだと言おうとして、やめた。
「おかえり、瑛。」
「ただいま、。」

 代わりに交わした、なんだかくすぐったいやりとり。






 瑛の到着と同時に続々と届きだした荷物の整理に追われ、気付けばあっという間に夕方。
 ベッドやテレビ、冷蔵庫なんかも設置が終わって、さっきまで空っぽだった部屋が嘘のよう。
 家具や家電付きの部屋もあったのにあえて自分で揃えたためか、もう瑛の部屋になってる気がする。


「……これで大体終わったよね?」
 わたしが作ってきたお弁当を食べ終わって尋ねると、返事の代わりに抱きしめられた。
「お疲れ。助かった。」
「ふふ、お疲れさま。」
 二人掛けのラブソファ。瑛一人が住む部屋なのに、わたしの居場所がちゃんと用意されてるのがくすぐったい。

「……
 黙ったままぴったりと身体をくっつけて、とくとくと速くなっていく瑛の鼓動を身体で感じていると、瑛が口を開いた。
「引越し、遅くなってゴメンな?」
「ううん……ご両親となにかあった?」
 すこし心配になって顔を見上げると、瑛はゆっくりと首を振る。
「親はなんとか納得してくれた。心配しなくていい。」
「そっか……」
 良かった、とつぶやくと、抱きしめる瑛の腕に力がこもった。
「……親じゃなくて、俺の問題。」
「……瑛の?」
「そう。……春休み中といたら、俺、ガマンできそうになかったからさ。」
「?」
 首を傾げるわたしの頭を優しく撫でながら、瑛は照れたように目線を逸らす。

「ほら、今日ってアレだろ?」
「アレ?」
「俺達の、付き合って1ヵ月記念。」
「……瑛って結構乙女なんだね。」
「ウルサイ。おまえが大雑把なんだ、女の割りに。」
 照れ隠しのように飛んできたチョップはすごく優しくて、なんだか少し物足りなく思えたりして。


「俺はまだ親に扶養されてるガキだけど、でものことは大事にしたいって思ってる。」
「うん……嬉しい。」
「……けど結構限界だ。」
 はぁ、と苦しげに吐かれた呼吸と共に、瑛の顔がわたしの目の高さまで降りてくる。
「人間なんて所詮、矛盾にまみれた生き物だよなー……」
「……いいよ?」
「え?」
 言葉が重なって、瑛がぽかんとした顔になる。……聞こえなかったのかな。
 わたしはそっと瑛の唇に自分の唇を寄せながら繰り返す。

「我慢しなくて、いいよ。」
「!!」
 わたしからしたキスにフリーズした瑛を見て、なんだかとんでもないことを言ってしまったのかと不安になる。
「……瑛?」
「いや、ちょっと待て、俺。冷静になれ……なるんだ俺!」
「あ、あの……瑛?」
 突然目をキョロキョロさせてキョドる瑛に、やっぱり言ってはいけないことを言ってしまったんだと悟る。
「ご、ごめん……やっぱ今のナシで。我慢して?」
「……それは無理」


 瑛の中でぷつりと音を立ててなにかが切れたのが、わたしにもわかった。

 

 後頭部にあった瑛の手のひらに、ぐいと引き寄せられて唇が重なる。
「……!?」
 いつもは触れるだけの唇の間から、熱を持ったものがぬるりと滑りこんでくる。
 驚いて、瑛、と呼ぼうとした舌がそれに絡め取られて、ようやくそれが瑛の舌だと気付いた。
「ん……っ、」
 押さられて逃げられないまま、こじ開けられた唇の隙間から吐息が洩れる。
 信じられないほど甘く響いたそれにびくりと身を震わせると、口付けがより深くなって
「ふぁ……っあ、んんっっ!」
 慣れないキスに呼吸すら思うようにいかなくて、ただ喘ぐようにして酸素を補給するしかない。
……かわいい」
 ようやく離れた唇から瑛の甘い声に呼ばれ、うっすらと涙のにじんだ瞳をあける。
 ぼんやりとした視界に、瑛のうっとりとした表情とてらりと光る唇を映した瞬間、身体の深いところからぞくりと甘い痺れが駆け抜けた。

「や……あ」
 初めて感じる感覚に不安を覚えてふるふると頭を振ると、首筋に顔をうめた瑛がぺろりとそこを舐め上げた。
「ひぁっ!」
「……
 思わず声を上げて背中を反らせると、滑るように添えられた腕に導かれるように、ふわりと空を切る。
 クッションのいいソファに倒れ込む衝撃と、ぽふっという柔らかい音。
 瑛に支えられていたので痛くはなかったけど、覆いかぶさる瑛の身体に心臓が止まりそうなくらい驚いた。

……嫌、か?」
 とろりとした瞳で切なげに見つめられて、わたしはようやく事態を理解する。

 嫌なはずが、ない。

 大好きな人と結ばれるんだ。





「……嫌」

 わたしの返事に、瑛が傷ついた表情を浮かべる。
 でもそれは、ほんの一瞬。

「……シャワー浴びてからじゃなきゃ嫌」
「!」
 弾かれたように顔を上げた瑛が、思わず赤くなったわたしを見て意地悪な笑みを浮かべた。
「……そのままでいいのに。」
「なんか瑛やらしー……」
「当たり前だろ?これからもっとやらしーことするんだ。」
「わぁ……開き直った。」
「ほら、シャワー浴びるんだろ?」
 笑顔だけは爽やかに、瑛がわたしの身体を抱き起こす。
「うん。」
 さっきまでの空気が緩んだことに安心したわたしは、瑛の案内についてバスルームに向かった。